☆足和田災害ドキュメンタリー映画「西湖Memory」上映会

 

半世紀前ーー昭和41年9月25日未明、本法人の拠点である西湖では、台風26号による豪雨で発生した大規模な土石流で、根場・西湖の部落は破壊、死者・行方不明者94人という犠牲を出しました。戦後最大の犠牲者を出した「足和田災害」です。

 

13年前、私たちは、足和田災害のドキュメンタリー映画を自主制作しました。

これを見ていただく上映会では、悲しく傷ましい災害の記憶を忘れないよう、そして防災意識を高める重要性を、後世に伝えています。

 

西湖Memory
西湖Memory
西湖Memory
西湖メモリー「山梨日日新聞より」

 

 

この映画を制作したのは2003年。足和田村が河口湖町らと合併するという時でした。

 

西湖が

“村から町へ大きく変わろうとする時”に、

“しっかりと自分達の足元を見直してから、生まれ変わろう!”

という思いが、制作をした動機です。

 

ちょうどその頃、村のある方が、西湖の昔の映像を8ミリフィルムで撮ったものが見つかりました。

そこには災害当事の映像や、住むところがなくなった村人が、樹海を開拓して“新しい村(本法人の事務所がある西湖民宿村)”を、自らの手で(チェーンソーもない時代にのこぎりで木を切って)作っていく姿がありました。

・・・感動しました!

この姿を後世に残し、ここに住んでいる子供達に見せたいと思いました。

 

それから有志が集まり、この8ミリフィルムを元に、ひとつの形に残そうとなりました。

本法人代表は、20年前に東京から移住してきた者ですが、シナリオライターを職業としていたので、この作業に役立ちました。他、制作メンバーは、林業や学校の教師や役場職員等々。パソコンが得意な者は編集作業、声がきれいな者はナレーション・・・など役割分担をして、災害後の開拓作業と同じく、まったく村の者の手だけで(それをここらでは、「おてんま」と言います。今でいうボランティアのことですが、似て非なるものである気もします。「手間をかける」→「おてんま」と転じた言葉です)、自主制作しました。

 

その作業は大変なものでした。8ミリは昔のもので保存状態も良くなかったので、ロクショウが出ていたからです。画面はぼやけていました。それを専門家に依頼して再生させました。

それでも限界があり、映像がクリアーでない部分も残っています。けれど私たちは、この貴重な歴史を伝えなければと、そんな事情を説明してから上映会を催しています。

災害当時はテレビの取材も、そう多くは入らない時代です。“災害後の開拓の映像”は、大手テレビ局にもなく、この作品にしか残っていない貴重なものです。

 

それから制作時には、当然メンバーにも災害で近しい方を亡くした者もいたものですから・・・

その制作作業を中断しては泣く、ということもありました。それぞれが仕事を持ってる身なので、仕事が終わって夕飯後に集まってから、作業は深夜2時頃まで・・・何週間も続いたものでした。

 

そんな村の者の思いのこもった・・・祈りのようなドキュメンタリー映画です。

機会があったら、是非ご覧下さい。

 

※なお、足和田災害は西湖部落より根場部落の方が被害は大きいものでしたが、記してきたように、この映像の元となった8ミリフィルムは西湖部落の方が残されたものなので、映画には根場は映っていません。ご了承下さい。

 

※上の新聞記事の写真は、映画完成当時に掲載された「山梨日日新聞」です。