新年度の始まり

 

 

春ですね〜。

新年度の始まりです。

こちらHappy Villageも活動時期に入りました。

 

 

 

 

 

 

樹海では桜が葉桜になったところです。

一番いい季節ですね。

銀竜草なんていう、不思議な腐生植物もちらほら顔を覗かせ出しましたよ。春の樹海名物です。今年はちょっと早めですね。

 

これから大型連休。みなさんどうお過ごしでしょうか?

森での癒しのひととき、山での開放感ーーなどなど。ここならではの自然を楽しみに、ぜひいらしてください。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    被災者親族 (木曜日, 27 12月 2018 17:19)

    当時、叔父叔母、叔父の母、そして4人の従兄弟たちが西湖部落に暮らしていました。
    子沢山で貧乏な家族でした。妹であるわたくしの母にいつも借金をしに訪れていました。
    災害の前日も、生れたばかりの子供を見せるといいながら、末っ子の手を引き、神奈川県藤沢市にあった我が家を訪れました。娯楽の少ない時代です。翌日は我が家の近所の中学校の運動会をみんなで連れ立って見に行きました。ニュースでは、台風が近づいている危険であると盛んに放送しておりました。
    既に運動会の帰り道には風が強まり、妙に暖かいのに雨が降り出していました。
    「おねえちゃん、今日は泊まっていきなよ。ね?台風だって。」何度も母が止めるのもきかず、家族が待っているからと、母がためておいた古着をひと包み持って、懐には母から借りた一万円を入れて、雨が降り出す中を駅で見送りました。
    その夜、暗かったですが、3時かそこいらでしょうか。当時5歳のわたくしには確かな時間はわかりませんが、急に寝床から母が起き出し、枕元にあったテレビをつけたのです。恐ろしい虫の知らせでした。
    そこにはブルーのバックに白い文字で、叔母と叔父の名前がのっていました。
    「あなたたいへん!!おねえちゃんが!」突然大声を出した母に、父が、「夜中にないいってるんだ!ねぼけるな!」と戒め、家族みんな寝なおしました。
    朝方、あらためて大変な災害が起こったことを知らされました。
    わたくしも葬儀に出席し、小高い丘のようなところに、たくさんの遺影がかけてあって、華やかなお祭りのようだと、子供心に思ったことを思い出します。

    叔父は部落の消防団だったそうです。
    乳飲み子を背負って、部落の防災に出かける叔父を見送って、後ろにあった階段に足をかけ、2~3段のぼったところで、叔母は山津波に飲まれたそうです。

    叔父の母と子供たちは先に二階へ上がっていたことが幸いして、命が助かりました。

  • #2

    れいこ (日曜日, 24 3月 2019 11:57)

    嬉しいコメント本当にありがとうございます。
    このようなコメントいただくことで私達の活動のパワーとなり、宝物がまた1つ増えていくような気持ちです。

    ※ この後「被災者家族」さんとは、何度かメールでやり取りさせていただきました。
    内容に個人情報が含まれるため、こちらに掲載することが残念ながら出来ませんが、ご縁に心から感謝いたします。ありがとうございました。