足和田災害復興50周年記念シンポジウム

足和田災害復興50周年記念事業実行委員会・主催の「足和田災害復興50周年記念シンポジウム」は、大勢の来場者が来てくださり、盛況のうち無事終了しました。

 


足和田災害復興50周年記念シンポジウム 表
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私たちは、シンポジウム前半の″災害のドキュメント「西湖メモリー」上映″をしました。

本法人の前身ともいえる仲間、村の有志とかつて作った自主制作映画です。

 

映画の冒頭ではーー

懐しいかつての西湖の風景、人々の暮らしが映し出された後、災害後の壊滅した村の様子が映ると、会場ではハンカチで目を押さえる方もいました。

それから映像は、村人が湖を船で渡ったところにある樹海を開拓して「新しい村」・・・「今の西湖民宿村」を、自らの手で作っていく姿が映し出されます。亡くなられた方を悼む間もない、文字通り血と涙と汗の・・・命を切り刻むような作業をしている姿です。

そして現在の西湖民宿村の風景が映りーー

過去から未来へと続く時の流れを感じていただきながら、『温故知新』の思いのこもったドキュメ        ンタリーは終わります。

 

 

私たちはドキュメンタリー制作後、今まで何度か、地元学校や公民館等で上映会をさせていただきました。土地の記憶、人の心の記憶を呼び起こすこの活動は・・・とても深く、悲しくも癒される「特別な時間」となっています。

 

かつて静かな田舎の村であったここらは、今では富士山や湖や樹海に、大勢の方が訪れる観光地となっています。

けれどそれだけ自然が豊かな地であるということは・・・自然の「恵み」とは裏腹な「脅威」がつきものだということでもあります。

50年前に、それを教えてくれたのがこの災害でした。

 

映画上映後には、当時村長であられた方のお話も、映像で御覧いただきました。

映像で、というのは・・・その方は2週間ほど前に、102歳という御長命で大往生されたからです。

その方は、災害当事は総務課長をされていて、復興時に50代で村長になりました。仕事の責務は言うまでもなく大変なものでした。

以前、災害復興時のお話をインタビューさせていただいた時の映像を会場で流し、こんな村長さんが指揮をとっていたのだと、見ていただいたのです。

元村長さんのメッセージには、激動の時代を超えられてきた深みがありました。

・・・深くうなづく方、辛かったことを明るいジョークで話される口ぶりに笑みを漏らす方等おり・・・会場の空気が変わりました。本当に元気で明るく、頼もしいお人柄でした。

きっと元村長さん、会場の様子を・・・天国から見て下さっていたのではないかと思います。

 

またシンポジウム後半部では、砂防や防災専門家の先生方の講演やパネルディスカッション等があり、災害とは?対処法は?等々・・・科学的な見地から、また現実的な見地から、様々な考え、意見が出され、とても有意義な時間となりました。

足和田災害復興50周年記念シンポジウム 裏
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このような機会があるごとに、災害という痛ましい記憶が、微力ではあっても昇華出来ることができたのなら、うれしく思います。

 

とても、時間のかかることだと思います。

それでも後世に伝えるべき出来事であるこの活動を、さらにじっくり取り組んで大事にしていきたいと、改めて思ったものでした。

 

 お忙しい中、来てくださった方、応援してくださった方、本当にありがとうございました。

 

この記事の最後にーー

映画を見た後、9才のお子さんがインタビューに答えたものを(シンポジウム翌日の地元新聞記事に掲載されたものです)、ご覧下さい。

「たくさんの家や人が流され、とても悲しかった。ちゃんと見て、理解できた。友だちにも教えてあげたい」(2016.9.26 山梨日日新聞の記事より)

 

 

※なお会場では写真撮影禁止だったので、会の様子を言葉でしかお伝えすることができません。御了承下さい。