今年最後の活動『自然のおはなし会』の報告です~お話の語り部は、西湖から渡辺昭三さん。河口から渡辺玉枝さん~

 いよいよ2013年、年の暮れ、秒読み段階ですね。

 クリスマスや忘年会、大掃除など、

 皆さん暮れ恒例の行事をこなされて・・・

 今頃は1年のしめくくりを感じていらっしゃる頃でしょうか?

 

 Happy Villageではこんな1年のしめくくりの12月、

 「自然のおはなし会」を開催しました。

 この活動は自然の恵みを生かして暮らしていた“昔の知恵”

  を先人からお聞きするという内容です。

 

 

それは教科書に残らない、 “消えていってしまう人の歴史” です。

当事者の方たちにとっては当たり前のことでも、遅れて生まれてきた私たちにとっては、

“人の息遣いのする貴重な歴史” です。

 

遅れて生まれてきた私たちはそんな暮らし方は出来ないけれど、それを伝え残すことが大事なのではないかと考えたものです。

そして昔の話をお聴きすれば、 混乱したこの時代の転換期、今の私たちが忘れて

しまった大事な何かを思い出させてくれるのではないか、という思いもありました。

 

お話会は、『西湖』と『河口』、ふたつの地域で2回開催させていただきましたが、お話はその地域の長老ともいうべき “地元を愛するものしり博士” にお願いしました。

 

これから、その2回分の模様を書かせていただきます。時を越えて、どうぞ楽しんで下さい。

 

  ≪1回目・『渡辺昭三さんの自然のおはなし会』12月15日。西湖公民館にて≫

 

 

西湖を中心に、近隣の子供から大人の方まで、大勢の方が参加してくださったこの日。

語り部は、西湖生まれ西湖育ちの渡辺昭三さん。その生き様は、名実ともに西湖の長老ともいうべき85歳の方。

西湖に『野鳥の森公園』が出来た時(平成3年)から13年間、園長さんをされてもきました。

 

      渡辺昭三さん
      渡辺昭三さん

 園長さん時代には、昭三さんが登場したら

野鳥が集まってきて昭三さんにとまる・・・

という方でした。

当時は写真をたくさん撮りためていらっしゃり、

それをスライドにして機会あるごとに学校などで

見せてこられもしました。

 

写真は昭三さんのお人柄そのもの、

西湖の静かな空気感が伝わるステキな数々です。

 

 

 

今回の会では最初にそんな写真の中でも、昭三さんのお好きな野鳥50枚の写真を

スライドショーにして見せてくださいました。

 

中にはもはや時代の移り変わりで来なくなってしまった野鳥など、貴重な写真もありました。

1枚1枚、丁寧にその鳥の説明やエピソードを語られてーー

公民館の和室の部屋はあたかも、森の中に変わってしまったかのようでした。

 

その時代のゆったりとした時間が流れ・・・木々がざわめき、野鳥がさえずり、巣作りをする様子さえありありと・・・見えないものが見え、聴こえないものが聴こえるような・・・空間を創って下さいました。

 

 

そしてスライドショーの後は、お茶タイム。

地元のおばちゃんが作ってくれたもろこしだんご、

よもぎだんご、いもの煮っころがし、漬物などーー

         昭三さんの話に花を咲かせて、

        大人も子供も

        昔のおやつ

       (西湖では、だんごは主食でもあったのですが)

        を美味しくいただいて

        ほのぼのとしたひと時を過ごしました。

写真で示している本は、その頃の暮らしを書いた『大和田日記』。西湖が富士河口湖町となる前、足和田村時代の広報に昭三さんが連載していた記事を、役場職員だった方がまとめて自費出版したものです。この本は非売品なので、興味のある方は河口湖の図書館でご覧下さい。
写真で示している本は、その頃の暮らしを書いた『大和田日記』。西湖が富士河口湖町となる前、足和田村時代の広報に昭三さんが連載していた記事を、役場職員だった方がまとめて自費出版したものです。この本は非売品なので、興味のある方は河口湖の図書館でご覧下さい。

 

それから第二部は、昭三さんの昔語り。

 

子供時代は「障子学校」(小学校は木造で

窓には障子)と呼ばれる学校に、お弁当持ちで通い

帰ってからは畑仕事・山仕事の手伝い。

 

学校を卒業した後は、山の炭焼き小屋に入り、

何日も寝泊りして炭を焼く日々。

 

地元の小学生も大勢参加してくれていたので、

 

「ありゃーえれぇ時代だっとうわ・・・

  今じゃ考えられんこんだわ」

 

昭三さんは子供達に、そう語りました。

 

参加された大人の方も昔を思い出され、

昔の遊びや暮らしを語ってくださった方が

大勢いらっしゃり、

時間が足りないくらい場が盛り上がりました。

 

 

 

 

室内のゲームで遊ぶことが主流になっている今、

参加の子供たちはそこから、何を思い感じてくれたでしょうか?

 

・・・始終黙って話を聴いてくれてた子、またその頃の詳細を質問してくれた子。

様々ではありましたが、『西湖』という場の昔と今が時間を越えて混じり合い、

生き生きと躍動したような1日でした。

 

この会の終わりにーー

「またこんな会を開いてよ」

ひとりのおばちゃんがそう言ってくださったのは、とても嬉しいことでした。

≪2回目『渡辺玉枝さんの自然のおはなし会』12月22日。河口御師の家・梅谷にて≫

 

 

2回目のおはなし会は1週間後。河口で1軒だけ残っている御師の家にて。

語り部は河口生まれ河口育ちの、日本の山はもちろん世界の7000,8000メートル級の山を、デスゾーン(7300メートル)まで無酸素でいくつも登っておられる登山家の渡辺玉枝さんです。

1年程前、女性最高齢でエベレスト登頂の記録を作られ、新聞テレビなどマスコミを賑わせた方なので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

          渡辺玉枝さん
          渡辺玉枝さん

 

そんな玉枝さんはあちこちの講演会で
エベレストのお話をされていらっしゃるので、

今回は地元を愛する素顔の玉枝さんのお話を

お願いしました。

 

玉枝さんの家系は御師との関わりがあるので

この歴史ある家でくつろがれ、

たくさんの昔話をしてくださいました。

子供時代には勉強より、家の手伝いなどが忙しかったこと。
夏は山羊・羊を飼っていたため、草取り。

冬は暖房や煮炊きのための薪取り。

 

ごはんははほうとうと麦飯しかなかったけれど、

友達とは陣取り合戦や鬼ごっこなどをして、

外で思いっきり遊んだこと。

 

また高校時代定時制に通っていた頃、乗り合いバスに足の無い女の人が乗り(!)級友の間で騒ぎになったこと。けれどその頃はどこの家でもムジナや狐に騙された逸話が当たり前のようにあったことーーなどそんな話をされて、大いに場を沸かせて下さいました。

 

「大変な時代であっても、ある意味おおらかな時代でもあったのねぇ」

玉枝さんは笑いながら、そう語ってくださいました。

 

自然がとても身近かにあった時代ーー

玉枝さんの純粋さ素朴さの元は、そんな自然とともに生きてこられた“三つ子の魂”から来るものだと思ったものでした。


それから山で出会った動物や植物の話もしてくださいました。

印象的だったのは、ヨーロッパアルプスの山で

出会ったエーデルワイスのお話。

その白い小さな花の姿は、夜空に浮かぶ星のようだったそう

です。

山肌に散りばめられた宇宙!すてきです。

そんな宇宙を登っていく玉枝さんは、

きっと未知の世界を求めていく宇宙飛行士のようだったに

ちがいありません。

 

 

そして最後に質問。『玉枝さんにとっての河口とは?』

 

「そうね。自然の中にいつも川が流れてるような・・・」

 

 そう。河口で生まれ育った玉枝さんの心の中には、清らかでさらさらとした故郷の水が、いつも流れているのでしょう。

これは自然体の玉枝さんの、魅力の真ん中をついたコメントだと思ったものでした。

 

       本庄元直さん
       本庄元直さん

さて。それから御師の家・河口十二坊・梅谷27代目の

ご主人・本庄元直さんにも

お宅について語っていただきました。

本庄さんはずっと関東に住んでいらして

5年前に御師の家を継ぐ方がいなくなり、河口に戻って

来られたとか。

 それから富士山について、御師について勉強をされて

こられたそうです。

古代文字の文書のコピーを、興味をもたれて見る玉枝さん。
古代文字の文書のコピーを、興味をもたれて見る玉枝さん。

 1776年に建てられたこの家は

江戸中期、三坂の山向こう(信州・北陸方面)から来る

富士講の修行者が、富士山に登る前に泊まった施設。

富士北麓では富士吉田の御師街が知れ渡っていますが

それは河口の御師街が早くに衰退し、

今はここ梅谷しか残っていないことも関係があります。

 

けれど1000年あまり続いたこの家には、そこかしこに

歴史の重みがずっしり感じられます。

 

ここへ戻られて本庄さんは、2階の納戸から

古代文字で書かれた古文書も発見しました。
(早くも研究者がそれを訳して本を上梓されています)

 

     
     

そんなお宅の古い貴重なもののひとつひとつを

説明をしてくださった本庄さん。

 

連綿と続いた、そんな特殊でありながら

日本にとって大事な歴史を守っていくのは

本当に大変なことだと思います。

 

けれど本庄さんは

それを支える熱い思いと博識のある方。

参加の皆さんも、感心してそのお話に

                         聞き入っていらっしゃいました。

          中村義朗さん
          中村義朗さん


そして最後に話していただいたのは

河口浅間神社・氏子総代であり

富士河口湖町の文化財審議会会長さんでもある

中村義朗さん。

 

河口で生まれ育った中村さんは、

やはりこの地元を愛して止まない方。

 

 

 

御師の家・梅谷を継ぐ方がいなくなった時、その血を継ぐ者である本庄さんに長い手紙を書いて訴え、その思いを受け取った本庄さんが戻って来られたという経緯があります。

 

   そんな中村さんには、河口の民俗学的な話を

   していただきました。

    

   河口はは田んぼの開発が大変で、

   水の管理に苦労をされてきたこと。

   

   玉枝さんが川の流れを印象的に語ってくださいましたが

   やはりここは

   『川』『水』が鍵となる集落なんですね。

  河口浅間神社にて、中村さん。
  河口浅間神社にて、中村さん。

そして昼食をはさんで河口浅間神社に移動。

中村さんが神社の説明をして下さいました。

 

ここは864年、富士山が激しい噴火を繰り返し、せのうみ

(今の西湖・精進湖・本栖湖)のほとんど埋めてしまった頃、

噴火を鎮めるために1200年も前に建立された古社です。

         境内にて。
         境内にて。

この日、境内ではお正月の注連縄作りが

地元の方たちの手でなされていました。
注連縄にはここで採られた古代米(黒米)の稲穂を

使っているとのこと。

地産地消の昔からの慣わしです。

    樹齢1200年の大杉
    樹齢1200年の大杉

本殿裏にある樹齢1200年の大杉では、

そのパワーを受けてか?参加の子供たちがはしゃいで

杉の周りを駆け回っていました。

長~く生きてきた杉が子供たちに

「ようこそ、君たち。がんばって生き抜けよ~!」

・・・と言ったような!?言わないような!?(笑)

見ているだけで楽しくなってしまうような場面でした。

          母の白滝
          母の白滝

 

こうして中村さんの神社の案内が終わると、
今度は玉枝さんの案内で母の白滝へハイキング。

母の白滝はこの神社の裏から行ける河口湖の

隠れた秘境。あまり人とも出会いません。

玉枝さんが子供のころ遊んだ場所でもあり、その時作った傷を見せてももらいました。

 

やはりお転婆少女だった玉枝さん。

                         微笑ましいエピソードでした(笑)

 

滝の脇には小さな祠があり、富士山の御祭神コノハナサクヤ姫の

義理のお母さん(サクヤ姫の旦那さん・ニニギの命の実の母親)

タクハタチチ姫の命様が奉られています。

ここの滝はかつて富士講の方たちが

富士山に登る前に滝に打たれて禊をする場所でもありました。

 

だからでしょう。

とても空気が澄んでいて、心が洗われるような場所です。

そして元の御師の家に戻って、本日の活動はお終い。

 

富士北麓では重要な場と思われる、古い歴史が残る『河口』の土地と先人の方々と、深く交流が出来た1日となりました。

 

    

        ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★

 

 

これで2回実施した「自然のおはなし会」の報告はお終いです。

長くなったにもかかわらず、最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

そしてお話をしてくださった渡辺昭三さん、渡辺玉枝さん、本庄元直さん、中村義朗さん、ステキな時間をありがとうございました。

 

参加者の皆さん、スタッフ及び関係者の皆さんも、お疲れ様でした!

皆さんのおかげでHappy Villageは、2013年、Happy Villageらしい活動の数々が出来、こうして終えることが出来ました。

感謝しています。本当にありがとうございました!

 

ではでは。

良い年を・・・お迎え下さいね!