皆さん、お元気ですか?
こちら西湖はもはや、朝晩はマイナスの世界。
秋をさっさと終えて、いつの間にか冬。
写真はある日の庭の霜。写真で見ると何だぁ?ですが(笑)。
よ~く見ると・・・これが結構キレイなんですね。
おひさまの熱で、はかなく消えるガラス細工のようです。
これを踏むとシャリシャリと心地いい感触が足裏に広がって、なんとも病みつきになる !?
寒い冬の朝の私の日課であります(ヘンな趣味ですね。笑)
さて。ちょっと間が空きましたがーー
前回&前々回の記事で紹介させていただいたお芝居「富士山のおはなし」を、先週末11月30日に、大月の小学校まで遠征して公演させていただきました。
小人数の学校ではありますが、地域の皆さんで子育てされている所(おじいちゃんが校庭の木を剪定したり、雨の日には軽トラに子供を何人も乗せて送り迎えしていたり←雨の日のスクールバス!)。
何ともあったかくて優しい空気感が漂っている学校でした。
そういう地域の子供は元気です。
見守ってもらって安心していられるから、のびのびしていられる。
そんな子供たちのシアワセ感を、私たち劇団員も分けていただいたような日でもありました。
そしてこの日は、子供たちの創作劇の発表会でもあったんですね。
1学年1演目づつ。1年から6年まで。
それぞれの物語は、地域に根ざしたお地蔵さんの話だったり、戦時中の話だったり。
この学校は1年に1回、保護者はもちろん地域のお年寄りも呼んで、そんな演劇の催しを開いているそうです。
(私たち “不二せのうみ劇団” は、子供たちの劇の前に一番手で公演させていただきました)
素晴らしいですね。演劇は総合芸術。台本作りから美術、音楽、それから役作りまで。コツコツとジミ~な努力を重ねて、たくさんの能力を結集させたものです。
みんなで力を合わせて架空の世界を創る!
何しろな~んもない空間に、人が感動したり笑ったりする
『今まで存在していなかったひとつの “或る世界” 』
を出現させてしまうのですから。
すごいことです。まさに人生勉強というものです?(笑)
そんな大変な作業を毎年子供たちがクリアーしていき、普段お世話になっている大人の方たちに見せる(=魅せる)!
本当にこの学校の取り組みには、ステキな心意気を感じたものでした。
そもそも子供は『物語』が大好きです。
覚えがある方もいらっしゃるかと思いますが、寝る前にお母さんが読んでくれる絵本を読む声の心地よさ。おばあちゃんが語ってくれる昔話の静かな時間。ーーなどなど。極楽ですよね~。
でもそんな『物語』って、何なんでしょうね? 『物語』を創ったり聞いたり読んだりすると、何で気持ちがよくなるのでしょうか?
・・・改めて考えてみると、『物語』なんてなくても、人は寝て起きてご飯を食べていれば生きていけます。必要最小限で即物的に、ヒトの肉体は存続していかれる。『物語』なんていりません。
う~ん。では何で?
と今、苦しまぎれに本棚を眺めてみれば・・・これです、これ。
亡くなってしまったことが惜しまれる、とても好きだったユング心理学者の河合隼雄さんの本の1ページに、こんなことが書かれていました。
ーーー 物語をもつことによって初めて人間は、身体と精神、下界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分をひとつに統合できる。
人間は表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は論理的な言語では表現できない。
それを表出させ、表層の意識とつなげて心をひとつの全体とし、さらに他人ともつなげていく、そのために必要なのが物語である。
物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、という不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい自分の物語を作り上げていくことにほかならないーーー
ちょっと難しいけど・・・ふんふん。
人が即物的な部分だけでなくきちんと人として生きていくために、物語は必要なんですね。
芝居や小説や映画やーーいろんな機会にいろんな『物語』を深く自分の中にストック出来た子供は、それを大人になっていく過程で役立てることが出来るのかもしれません。
ひと筋縄ではいかない “自分の中の混沌をまとめる作業” ーーそれをあきらめずにコツコツとしっかり取り組める大人に。
・・・ということで。
今回の記事は、芝居公演の報告からだいぶそれて長くなってしまいましたが f ^ ^ 最後まで 読んでくださってありがとうございました。
この芝居公演、今年はあと2回あります。どんな子供たちと出会えるか、毎回楽しみでなりません。また報告させていただきますね。
一年の締めくくりの月、どうぞ風邪などひかれませんように。ご自愛下さいね。
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yasu (火曜日, 10 12月 2013 14:04)
「物語」の意味って・・・深いですね。
私は物語大好きな子どもでした。
そして今でも、映画・小説・お芝居、大好きです。
ごくごく身近なことで言えば、自分のことを語るとき、それが日常の些細な事でも、自分の人生を大きく変えたドラマティックな出来事でも、それは言葉にした途端になにか自分の外へ出て行く自分とは別の「物語」になるような気がします。
子どもたちにとって「物語」の大切さは思いの外大きなものかもしれませんね。
がんばれ~!
れいこさん (水曜日, 11 12月 2013 18:31)
yasuさん、深いコメント、ありがとう!
うんうん。物語。確かに・・・
ある出来事を人に話す場合、自分の内と外では、微妙に違う話になってたりするかもしれません。人前だとどうしても照れがあったりとかカッコつけたりとか、あったりしますもんね(笑)
けれどどういう形であれ、物語を自分のものにする時には、受動的(聞く、読む)より能動的(創る)な方法が出来るのであれば、よりいっそう効果的!(笑)なんでしょうね。
なので学校でそういう取り組みをされているところは、本当に素晴らしい。この学校の子供たちは、思い出すだけで本当にうれしくなってしまうような感じで、キラキラしてましたよ~!